さーなさん ブログ書く

さーなさんブログ書きますo(`ω´)o

みかたのはなし

 

 

 

こんばんは

 

さーなです

 

 

f:id:serna37serna:20190407004225j:plain

 

 

人間やっぱり一度悪いイメージを持つと

 

どうしてもそのフィルタを通してしか、物事を見れません

 

 

固定観念と印象は他人を判断する最たる材料

 

付き合いが長くても、100%心を理解することなんてできないので

 

どんな印象を持っているのか、それが一番重要となってしまうのです

 

 

 

 

外見が綺麗だったら...そりゃもちろん好かれることが多いでしょうね

どんな美辞麗句を並べてもそれは変わらないでしょう、もちろん人によりますけども

結局人は眼から取り入れる情報に大きく左右されるんでしょうね

めっちゃ怖そうな人がいたらどうしたって怖いし

虫も殺せなさそうな人をみれば、か弱そうに見えるでしょう

真っ黒な服に身を包めば暗い印象を受けるでしょうし

全身カラフルなピエロがいれば、明るいイメージになりますよね

 

じゃあ、目に見えないものへの印象はどうなるのか

なにか関連するものを結び付けて、セットで記憶してると思うんですよね

たとえばVtuber

元来、声以外に中の人の情報ないわけじゃないですか

けどそれぞれの声音やトークの内容、趣味嗜好にあわせた外見を

キャラクター性を確立するためにLive2Dとか3DCGやらでアバターつくってるわけですよ

けどやっぱ中の人はしっかりいるわけで

どうしたってそこに差異が生じてしまう

美少女キャラの中身がおっさん、なんてのはよくある話ですよね

 

で、ですよ

本題

いつも明るい人がネガティブな発言をしていたとしましょう

その部分しか見ていない人にとっては、うわなにあの人根暗じゃん、と

ほんとは明るい人なのに、そこの部分しか知らないから

真実というか、全体像も見ずに、人を判断してしまう

だめなひとだと、かかわるべきでない人だと、カテゴライズしてしまう

逆もまたしかり、明るい人だと思って近づいたら実は暗かったとか

それで裏切られただの、期待外れだの勝手にのたまくわけですよ

 

他人を評価してるのは自分の頭の中

自分自身の世界で、自分自身の価値観を通して見てるわけで

リンゴをサングラス越しに見てるだけで

いろんな人がいろんな眼鏡越しにリンゴを見てる

そしてかかわりあってる

そう、全員見えてるものが違う

見てるもの は同じ

見えてるもの が違う

 

つまりだ

自分の思っていることが当たり前だなんて思うのは

他者にも自分と同じものが見えていると思い込んでいるだけで

まぁもしかしたらね、100%おんなじの見えてることあるかもしれないけども

そうじゃない可能性のがはたはた高いわけで

価値観、常識を、当たり前に共有できているだなんて思ってはならないのだ

ましてや自分の見解を押し付けたりだとか

こうに決まってんじゃんばかじゃねぇの みたいに相手をディスるとか

それって、自分の思慮がいかに足りてないかを自ら公表してるだけで

私にとってはすごくかわいそうだなって思える行動です

 

 

今まで悪いイメージがあったものが、実はいいものだったり

その逆も、よくあると思います

 

結局思い込んでるだけで、良い悪いなんて常に変わるし

大多数の人にとって〇でも、世界にはきっと×と捉える人もいるんです

 

たぶんみんな、誰かにわかってもらいたいから

時に欲が出てしまうんでしょうね

誰かに共感してもらいたい

自分を認めてもらいたい

 

 

そんな世の中でコミュニケーションをとっていくというのは

つまり相手の持つ価値観を理解しようとしながら

尊重しながら

自分の見解もしっかり表に出して

100%でなくてもいいから

わかりあう、っていうことなんじゃないですかね

 

 

具体的には話をしっかり聞いて

気持ちをしっかり考えてみて

自分の意見をしっかり述べて

そうやってかかわっていく

けど相手が自分の気持ちを分ってくれないことなんてよくあることで

 

むしろわかってもらえたらラッキーだよね

相手は自分じゃないんだもん、わかるほうがすごいよ

 

だからなんていうか

分かり合える人ができたなら

大切にしていきたいなって、そう思いますよね

 

 

ものの見方は人それぞれ

だからこそ尊重しながら生きていこう

っていうおはなしでした

 

 

最後まで読んでいただいてありがとです!

 

また見に来てくださいね・ω・v